活動記録

雨タスサロン③:雨+講(2016.12.14)
高橋朝子さんが語る講とオオカミ信仰の話

柴 早苗(雨水市民の会理事)

写真1 御嶽神社境内には「〇〇講」と名前がある石碑が多数建っている。

写真1 御嶽神社境内には「〇〇講」と名前がある石碑が数多く建っている。

2016年12月14日の第3回雨タスサロンは、様々ある講のうちでも、御嶽講、大山講、榛名講など山の神社へ詣でる講のお話でした。

山登りが趣味の高橋朝子さんは、御嶽山の頂上付近にある武蔵御嶽神社で写真1のような多数の石碑を見ました。石碑には地元近くの地名が刻まれていて、寄進者の「〇〇講」とはどんな団体なのか興味を抱きました。調べてみると、「雨」にも関わる農村文化として根付いたものでした。

日本には古代から山岳信仰がありました。農耕生活とも相俟って、山の神が里に降り桜の木に宿って田の神となり、豊作を導くと考えられました。桜の花見も神様に対するおもてなしの意味があるとか。平安時代には仏菩薩を取り込んだ「神仏習合」の思想が生まれ、それと密教が融合して、鎌倉時代から戦国時代には修験道が盛んになりました。

修験者は「御師(おし)」と呼ばれ、江戸時代には御師が信者拡大のため、農村や町を回り「講」を組織しました。部落毎に作られた講では、毎年、代表に選ばれた者たちが御師の集落に宿泊して、富士山や伊勢神宮などに詣でました。参拝後はお楽しみの娯楽もあったそうです。明治時代には神仏分離令が発令され、修験道は仏教か神道かの選択を迫られ神道色を強めました。しかし、講は古来からの民間宗教が根源にあり、現在も部落の行事として続いているところが数多くあります。

写真2 「オオカミの護符」(新潮社・小倉美惠子著)

写真2 「オオカミの護符」(新潮社・小倉美惠子著)

高橋さんは丹沢の大山にも行ったそうです。ここにも御師の集落があり、阿夫利神社を詣でる大山講があります。阿夫利は「あぶり」と読みますが、「雨降」の意味であり、大山は「雨降山」とも呼ばれています。雨乞いや五穀豊穣の祈願をする農民たちや大漁祈願の漁師たちが訪れます。雨乞いは「榛名講」「妙義講」「赤城講」「御嶽講」などでも行われています。

「オオカミの護符」という本(写真2)を紹介されました。講を調べているときに出合ったそうです。著者の小倉美惠子さんの実家は、川崎市の土橋にある古くから農家で、その土蔵には一枚の護符が貼られており、「武蔵国 大口真神 御嶽山」の文言と動物の絵が書かれていました。小倉さんは、この護符の由来を調べるため、近所の古老や御嶽講の御師などを訪ね歩きました。その結果、この動物はニホンオオカミで、オオカミを信仰する神社が関東を中心に数多くあることがわかりました。ニホンオオカミは、現在絶滅していますが、かつては日本の山には数多く生息していました。山村で農作物を作って生きている農民たちにとって、ニホンオオカミはイノシシやシカを捕食し農作物を守ってくれる山の守り神でした。御嶽山の他、御岳山、武甲山、宝登山、三峯山などもオオカミ信仰の山です。農民たちはオオカミを「お犬様」と読んで祀り(写真3)、赤めし、栗、稗などをお供えする「お炊上げ」などをしてお参りしています。

山は水源地でもあり、農作物を育み山菜や薪・材木などの生活の糧も得られ、人々の暮らしには欠かせないものです。その一方で噴火や山崩れなど災害をもたらす恐ろしい自然でもあります。人が山と交感して自然の恵みを享受しつつ、あるときは畏怖する気持ちを持っていることは、人が自然に対して分をわきまえた生き方をする契機にもなるでしょう。雨と付き合うことも同じ心構えが根っこにあると思いました。

写真3 左は三峯神社のオオカミ(小谷久美さん提供)、右は大岳神社のオオカミ。「お犬様」と呼ばれ、親しみのある顔をしている。

写真3 左は三峯神社のオオカミ(小谷久美さん提供)、右は大岳神社のオオカミ。「お犬様」と呼ばれ、親しみのある顔をしている。

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