下町×雨・みどり

下町×雨・みどりWS第1回 『「水」がつくったまち「すみだ・向島」を探る』報告

下町×雨・みどりプロジェクト担当

下町すみだのまちの雨の行方を辿りながら、私たちにできる小さな気候変動対策を考えるプロジェクトの活動が始まりました。

第1回目ワークショップは、4月29日(金・祝)に雨の中、佐原滋元さん(雨水市民の会理事・向島学会)の案内で工場が多い墨田区八広・東墨田(墨田区向島地区のこの辺りは「吾嬬」と呼ばれていました)を旧中川まで、雨とまちとの関係を歴史の変遷を辿って歩きました。その後、たから会館(墨田区京島にある地域集会所)で佐原さんから水に関わる「すみだ・向島」の歴史と地理の説明を聴きました。

吾嬬のまちを歩く

吾嬬は戦前から紡績、石鹸、肥料などの大工場があり、そこに働く人たちが暮らしたまちでした。縦横無尽にめぐる川や水路を活かして船で資材や製品を運んでいました。水路は自然の高低差を使って水の流れのようにくねくねして、今もその面影を残しています。運送手段が車に代わり、川や水路は役目を終えて道路となっています。昔あった大工場が移転して、団地となったところや今回は雨で行かれなかった旧中川上流部と荒川をの境にある木下川(きねがわ)水門(地図の右上)は、ゼロメートル地帯のまちを守るため水位を荒川より常に1m低くするようにポンプで荒川に排水しているそうです。旧中川の下流部は再び荒川に合流する地点には「閘門」という船が出入りできるように水位差を調整する水門があり、その差は最高3mもあるそうです。春には河津桜が咲く土手は高く、地盤沈下によりまち全体が低いことを実感できます。また、墨田清掃工場がある広い敷地は、元は大きな肥料工場があったそうです。まち歩きの終点は京島のたから会館で、歩いたところの振り返りをしてから、長くすみだに住んで歴史や地理にも詳しい佐原さんの話を聞きました。

(左)ワークショップ第1回目は、雨の中、まち歩きに出発!
(中)旧中川の土手はかなり高い。ボートの練習風景が見られた。
(右)木造住宅が密集するまちは長い年月をかけて防災に強いまちへ変身している。

水がつくったすみだ・吾嬬の歴史

京島のたから会館で佐原滋元さんの講座を聴いた。ウエブの参加者もいた。

まち歩きの後に、たから会館で佐原さんの講座があり、ウエブで参加された方もいらっしゃいました。

佐原さんは、生まれ育ちも向島で当会の理事です。NPO法人向島学会にも所属され、まちを知り尽くしている方です。今回の話は、”水も滴るいい男”の話と冗談も織り交ぜながら楽しく聞かせてもらいました。すみだは四方を川に囲まれ、かつては洪水による被害が多かった地域です。

大昔はこの辺りは海でした。大河が運ぶ土砂で陸地となりましたが、湿地帯で人が住める所ではありませんでした。室町時代には向島地域のいくつかの聚落名が見られ、農業が細々と営まれていたようです。

江戸時代には、利根川の東遷により合流していた荒川も入間川に付け替えられ、新しく葛西用水などが整備され、大規模な農地開発がされました。また、明暦の大火(1657)を契機に江戸の都市計画が始まり、その一環で本所地域は堀割を掘削し、その土砂で埋め立て、まちを広げていきました。人々が生活する上での水の確保のため亀有上水(本所上水ともいう)が開削されましたが、その後メンテナンスの問題*や井戸の普及のため、曳舟川となり、農業用水や物資の船搬送のために中居堀、北十間川も開削されました。江戸時代中期には、江戸の庶民の生活も安定し、この地域では梅林もあちこちに造られて花見を楽しんだり、神社仏閣を参拝する人たちが通る参道も賑わいました。

*亀戸上水は江戸の六上水(他神田上水・玉川上水・青山上水・三田上水・千川上水)の一つだったが、1722年に青山・三田・千川上水と共に廃止された。その理由はメンテナンスにお金がかかるということだが、亀戸上水は他に水が来ない時が多かった。玉川上水は100mを流す高低差が21cmであったが、亀戸上水は2.3cm/100mしかなかった。

明治になり、1888年町村制が実施され、三つの村と亀戸の一部が吾嬬村となりました。以前からたびたび洪水が起きていましたが、この頃から墨東地域には紡績、皮革、化学など工場が集積してきて、1910年(M43)の大洪水は水が1カ月も引かず甚大な被害を与えました。国家的事業として1911(M44)年から荒川放水路の開削事業が始められ、20年の歳月をかけ完成しました。1923(T12)の関東大震災は吾嬬地域の被害は比較的少なかったのですが、本所地域などで被災した工場が移転するなどして、工場の一大集積地となっていきます。また、工場に働く労働者や家族も住み、商店街や映画館などの娯楽施設、念願のポンプ場も完成し、賑わいのあるまちとなっていきました。しかし、工場のまちであることは軍需工場の集積地と見なされて、東京大空襲(1945)では重点的に爆撃を受けることになりました。

焦土と化して終戦を迎えましたが、復興の好景気とともにまちの活気も戻り、人口はさらに増加していきました。戦前から工場で地下水を大量に組み上げた結果、江東デルタ地帯は地盤沈下が進み、吾嬬地域の立花六丁目では約3.5m沈んでしまいました。また、工場排水の影響で川はどぶ川と化し、早慶戦レガッタも中止されてしまいました(1961)。1967年に公害対策基本法が施行され、すみだの大規模工場の多くは地方に移転していきました。工場が移転した跡地には、団地が立ち並び、学校や保育園などの施設も増加しました。しかし、1990年代になると団地から子どもたちが巣立ち、学校の児童数が減って学校の統廃合は相次いで進められました。
京島地域は木造住宅の密集地域で、防災上危険なまちと言われていましがら、1981年(S56)に行政と住民で構成する京島まちづくり協議会が発足し、40年間にわたる活動の中で災害に強いまちに変わりつつあります。

まちづくりについても議論

京島地域は30年もの歳月をかけて、住民が主体となったまちづくりをしていますが、他の地域はどうなっているのでしょうか?
この辺りは戦前に一挙にまちができあがっていって、当時は土地、家を借りて住んでいました。まちづくりのため土地や家を買い上げようとしても、住民、大家、地主がみんな違う「権利の三階建構造」でややこしい。また、家と工場が一体の町工場は、頑張っている人たちもいますが、子どもが後継せず、相続で建売業者などに売ってしまう。沿道ではワンルームマンションが多いです。スカイツリー効果で”有名”になったのか、投資型のものが多いです。このようなマンションでは若い人たちが多く住んでいますが、このまちに住み続ける人は少なく、過当競争になって更新のたびに空き部屋ができていくということが起きてきています。
また狭小な敷地に無理に建物を建てるのも問題があり、3階建以上の場合は建てる時に柱の下に基礎に杭を打ちますが、建て直す時はそこに打てないので、別のところに打つことになります。柱の下に杭が来ないのは構造上弱くなって、将来何も建たない土地になってしまうのではないでしょうか。私は個人的に地面の所で暮らせるまちが良いと思っています。
すぐ近くにある中居堀通りとはなみずき通りのできた経緯は?
こんな近くに大きな道路が二本並んであるのはなぜでしょう。元々、江戸時代に農業用水や水運のために開削された中居堀は、昭和になっても工場への運搬で船を利用していましたが、運搬が車が主流となって道路が必要になったため、はなみずき通りができました。ですから川と道路が両方あった時代もありましたが、中居堀が暗渠化し道路となってしまいました。昔からの名前を残しておくのも大切なことですね。
●なぜ、空き家が多いのでしょうか?
まち歩きをしていて、空き家が多いことに気づきましたか?1階が作業場や店舗、2階が住まいという暮らしをしている人たちが多かった。しかし、子どもたちに自分の仕事を継がせるより安定したサラリーマンの方が良いと、子どもたちは別の地域に移り住んでしまう。子どもたちは仕事を継承せず、親は年をとって廃業し、1階だけ貸そうとしても、中階段の構造なので住みながらは貸せない。親が亡くなって相続となると、結局はお金で解決し、売ってしまうことになる。商店街の半分以上がそうす。

京島地域はアーティストたちがリノベーションなどのまちづくりをしていると聞いていますが、その実態は?

アーティストの多くはあまりお金を持っていない人が多いです。この地域は木造の空き家が多くなり、家賃が安い。工場跡はアート制作の作業空間に適しています。こんな理由からかアーティストたちが住み始めましたが、「類は友を呼ぶ」、イベントなどでさらに若い人たちも呼び込んでいるようです。
また、元々まちに住んでいる人たちも、珍しい物好きな人が多い、ものづくりのまち、ということで、移り住んできたアーティストも馴染みやすいのでしょう。千葉大、IUが地域にできて、長屋の活用なども始めています。
しかし、防災を基軸にまちづくりをしてきた人たちの活動と矛盾があることも事実です。地域柄、土着の人が少なく、町会の役員も住んで一代目という人も多いです。もう少し向き合ってお互いにコミュニケーションを取ることが必要だと思います。若いアーティストが住んで、近所の人から挨拶された、お節介されたと嬉しい驚きがあるそうです。キャッチボールができるまちです。みんなで街づくりをしていくきっかけになれば良いなと思っています。
第2回のワークショップは、5月7日(土)で「意外と知らない?!  すみだと雨の関わり」(講師:笹川みちる)を開催します。また、6/11(土)に千葉大学でランドスケープを教える木下剛先生をお招きして「ネイチャー・ベースド・ソリューション(NbS)」についてお話しいただく予定です。ぜひ予定を空けておいていただければと思います。

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