ひと・市民

ワヒドと歩んだ25年間〜バングラデシュ・スカイウォータープロジェクトの足跡〜

村瀬 誠(雨水市民の会理事、スカイウォーターバングラデシュ会長)

2024年2月26日、雨水市民の会バングラデシュ支部長だったM. Wahid Ullah氏が逝去されました。享年63歳でした。
地下水のヒ素汚染が引き起こすヒ素中毒、病原菌で汚染された水に起因する下痢被害、水源の塩水化及び長時間にわたる水汲みなど、世界でも屈指の深刻な飲み水の危機に直面するバングラデシュ。雨水市民の会(当時は雨水利用を進める全国市民の会)が、国際協力事業としてバングラデシュにおいて雨を活かして飲み水の水の危機を救うスカイウォータープロジェクトを立ち上げたのが1999年のことでした。以来、現在に至るまで私たちを支え、共に歩み、いくつもの困難を乗り越え数々の成果を上げてきた彼の功績に深謝するとともに、心からお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。
Wahid氏が雨水市民の会とともに歩んできたスカイウォータープロジェクトの足跡を、長年にわたり現地において活動を共にしてきた村瀬理事に追悼記事を寄せていただきました。

雨水市民の会バングラデシュ支部の誕生

Wahid(以下「ワヒド」)が私たちのスカイウォータープロジェクトに深くかかわるようになったのは、2008年に雨水市民の会が沿岸部のクルナにおいて海外支部としてのNGO、すなわちPeople for Rainwater Bangladesh(以下「PR Bangladesh」)を設立してからのことである。当時、雨水市民の会の事務局長だった私は、日本で集めた国際協力資金をもとに地元のNGOに依頼して雨水タンクを設置するやり方でプロジェクトを展開していた。しかし、彼らは片手間にタンクの事業を請け負っていたこともあり、満足するようなクォリティの高いタンクがほとんどなかった。そして何よりも年々プロジェクトを重ねるうちに、ドネーションだけに頼るやり方では早番事業が行き詰まることや、ただタンクを設置するだけでは受益者にあてがわれたものと受け取られ、オーナーシップがうまく働かないことがわかってきた。ここは自分たちで天水活用に特化したNGOを立ち上げ、こうしたドネーションの壁を打ち破るしかないのではないか!これが、私とワヒドが出した結論であり、スカイウォータープロジェクトにおける私とワヒドの二人三脚の始まりだった。私はクルナに雨水市民の会バングラデシュ支部となるPR Bangladeshの事務所を開設し、ワヒドはPR Bangladeshの代表に就任することになった。

ソーシャルビジネスプロジェクト事始め

コロナ禍の中のAMAMIZUの設置風景

その後、PR Bangladesh は、新たなNGOと協働で6人家族が1年通して飲み水をカバーできる4.4トンのコンクリート製リングタンク(以下「CR タンク」)を開発し、分割払いを取り入れたCRタンクの普及事業を開始した。そして「国際機関がタンクをただ同然で設置しているのに、タンクを買ってもらうというのは頭がおかしいのではないか」という一部のNGOの批判をよそに、100基のCRタンクが設置され100パーセント資金回収もできてパイロット事業は成功をおさめたのである。

しかし、20,000タカ(当時)もするCRタンクが購入できるのは富裕層に限られていた。私たちの目標は、安全な飲み水にアクセスできないすべての人に持続可能な形で雨水を提供することだったので、誰もが購入できる安価な雨水タンクの開発がどうしても必要になった。そのヒントとなったのがバングラデシュの農村で昔から使われてきた素焼きのモトカだった。昔から村人たちは、安価なモトカを購入し雨水をためて飲んできた。ただ、モトカは通常容量が50L程度でためた雨水だけでは乾季を乗り切れないだけでなく、衝撃にもろかった。そこで、私はこの弱点を克服した安価な雨水タンクを世界で探しまくり、行きついたのがタイの東北部で昔から使われてきたモルタル製のジャイアントジャーだった。この技術をバングラデシュに移転できないものか。今から思えば、クレジットカードも海外渡航歴もない左官工がビザを取得し、タイの国立職業訓練校において1ヶ月にわたるジャイアントジャーの技術研修を受けることができたのは奇跡というしかなく、ワヒドがツーリスト会社時代に培ってきた素晴らしいマネジメント力にただただ頭が下がるばかりである。

ソーシャルビジネスの試み

SBLによるAMAMIZU所有者向け啓発ミーティング。真ん中がワヒドで、右隣がジェネラルマネージャーのバッピー、後ろの右端がフィールドコーディネーターのルミ

一方、私は、日本のNPOの国際協力事業の取り組み方にも限界を感じ始めていた。日本において環境基金などの国際協力支援団体の数は限られているうえに、助成支援してくれるのはせいぜい1、2年で、寄付にも限界があった。何とか自力で資金調達しながらスカイウォータープロジェクトを持続可能な形にできないものかと悩んでいたところ、おりしも2010年にJICAが、低所得者が抱える社会問題をソーシャルビジネスの手法によって解決するための準備調査の公募があった。そこで、私は低所得層を対象とする雨水タンクのソーシャルビジネス調査(BOP ビジネス民間連携)のプロポーザルを取りまとめて応募し、受注に成功した。本プロジェクトの日本人スタッフには、雨水市民の会の会員である笹川、佐藤、鎌田の三氏も参画した。

かくして、JICAの資金を活用してバングラデシュ版のジャイアントジャーが誕生した。容量は1トンで、モルタル製である(現在はフェロセメント製)。私たちはこれを、生命を救う天の恵み、天水(Sky Water)に感謝するという思いを込めて「AMAMIZU」と命名した。

さて、これをいくらで販売するか。それを決めるために私たちは村人たちを対象にした水のコストに関するベースライン調査を実施した。結果はとても興味深いものだった。50パーセント以上の人が3,000タカ(当時はタカと円はほぼ同じレート)までならタンクの購入のために金を出しても良いと回答したのである。さらに、彼らは年間に医療費(水が原因で、下痢などで医療機関にかかるコスト)として平均1,425タカ、水汲み(お金を払って水汲みを依頼したり水を購入したりするのに要するコスト)に平均1,416タカ、合計約2,841タカかけていたことが明らかになった。このことは、もし彼らが3,000タカでタンクを購入、設置していけば、懸案だった飲み水の問題が解決するだけでなく、それまでの水のコストも削減できるという一石二鳥の効果が期待できることを意味していた。そこで、私たちは、材料費や人件費を精査してAMAMIZU本体の販売価格を3,000タカ雨どいやタンクの設置と運搬の費用を1,300タカに設定し、AMAMIZUの生産、販売及び設置のパイロット事業を開始した。販売に当たっては、バングラデシュでは消費財の購入には分割払いが一般なことと、一人でも多くの低所得者層に手が届くように、頭金2,000タカ、残金を6ケ月で返金する無利子分割払い方式を採用した。結果、約200基が生産、販売及び設置でき、分割払いの返金率も97%とおおむね良好だった。

コックスバザールの高校に建設されたCB製雨水タンク

私はこのパイロット事業の成果を受け、2013年にワヒドとともに天水活用ソーシャルビジネスに特化した、現地法人会社、スカイウォーター・バングラデシュ(SBL)を設立し、現地にAMAMIZU生産工場(APC)を開設して本格的な天水活用ソーシャルビジネスを開始した。私は会長となり、ワヒドはSBLの代表取締役社長に就任した。その後、紆余曲折があったが2023年度末までに沿岸部のクルナ、サツキラなどに設置されたAMAMIZUは約5,000基になった。今では、APCがあるモレルガンジでは、AMAMIZUが設置された家が集中する、いわゆるAMAMIZU村も誕生している。

とはいえ、AMAMIZUの対象はあくまで個人であり、学校や病院などの公共施設は対象外である。沿岸部では公共施設に水道がないことが珍しくなく、ここにも安全な飲み水の供給施設としての雨水タンクの建設の必要性がクローズアップしてきた。そこで、私と佐藤とワヒドは、JICAバングラデシュ事務所に掛け合い、手始めにAPCがあるモレルガンジの郡立病院においてJICA、SBL及びPR Bangladeshとの協働による大規模な雨水タンクの建設を提案した。幸い、当時の戸田所長の英断ですぐにこのプロジェクトが実施され、2013年には、バングラデシュ初の病院のコンクリートブロック製雨水タンク(以下「CBタンク」:総容量100トン)が完成したのである。これまでに15基のCBタンクが、クルナ、サツキラ、チタゴン及びコックスバザールにおいて学校や病院などに設置されている。なお、施工性と強度に優れたCBタンクは、佐藤氏の尽力により開発されたものである。

ワヒドに学ぶ

AMAMIZUタンクにしろ、CR タンクにしろ、CBタンクにしろ、その後のエンドライン調査によれば、タンク利用者の多くが「雨水を飲むようになって下痢が止まった」「塩害から救われた」「水汲みが軽減された」「医療費が減った」といった回答を寄せている。私とワヒドがモレルガンジでインターンシップを引き受け、山田翔太氏(現在立教大講師)が行った雨水タンクがもたらす生活改善効果の調査でも同様の結果が得られている。SBLはタンク設置後のフォローや簡易水質検査を行っていることもあり、管理もおおむね良好である。スカイウォーターソーシャルプロジェクトの試みは、ささやかな成果ではあるが有効性が実証され、雨を活かしてすべての人の生命を救うスカイウォータープロジェクトの一つのモデルを作ったように思う。

2022年には、ロヒンギャ難民キャンプがあるコックスバザールの二つの学校においてそれぞれ総容量100トン規模のCBタンクが完成した。コロナ禍のなかワヒドはこれまでのように現地に張り付き陣頭指揮を執っていたが、その最中に肺がんが発覚した。一時は声が出なくなるほど事態が深刻だった。しかし、彼は現場から離れず肺がんと向き合いながら最後までやり抜いたのである。私は、昨年5月、彼が肺がん末期と言われていたにもかかわらず声も出るようになり奇跡的に回復したように見えたので、お見舞いも兼ねて単身バングラデシュを訪ねた。いつものように空港の出口に彼がいて私と彼は久しぶりの再会の喜びを分かちあった。その後に彼の口から出た言葉に私は驚きを隠せなかった。彼は私のバングラデシュ滞在中に一緒にモレルガンジに出かけたいと言い出したのである。遠距離移動に耐えられるのか彼の体調が気になったが、動けるのは今回が最後かもしれないと考え、私は快諾した。現地では、左官工やスタッフを始めスカイウォータープロジェクトに関係した人たちが彼の回復と私たちの来訪を喜び、大歓待してくれた。モレルガンジ滞在中、私と彼は、雨水タンクを設置した家庭や病院及びAPCを訪ねたが、彼が、雨が大切にされ有効に活用されているのを見て目を細めていたのを今でも脳裏に焼き付いて離れない。

コックスバザールの高校の雨水タンクの建設現場で働くSBLの仲間。縞模様のTシャツがワヒド、その左隣が私と佐藤

ワヒドが私に残した遺言がある。

「自分たちは、いつかは亡くなる。しかし、雨水タンクは生き続けるだろう。そしてみんな生命を救ってくれた雨に感謝するに違いない。」

日本とバングラデシュの空は、同じモンスーンアジアの空でつながっている。私のバングラデシュへの渡航回数は100回を超えた。裏を返せば、100回以上ワヒドと旅をしたことになる。4半世紀にわたりともにスカイウォータープロジェクトに取り組んできたスカイウォーターハーベスターであり、ベストフレンドとしてのWahidに改めて心から感謝したいと思う。そして彼の高い志とヒューマンスピリットを受け継ぎ、スカイウォーターソーシャルプロジェクトがこの国に根付くことを期待したいと思う。

ワヒド本当にお疲れ様。最後に、彼とともに大切にしてきた世界に向けたメッセージを記す。

“Sky Water makes Happy and Health. No more Tanks for War, Tanks for Peace !”