ひと・市民

隈研吾が「路地尊」を「新・東京八景」の一つに選んだわけ
〜自然・雨を感じられる建築へ

聞き手:佐原滋元、笹川みちる、高橋朝子(雨水市民の会理事)

新・東京八景」(2020年1月20日号『AERA』)で建築家・隈研吾さんが8つのうちの1つに路地尊*を選びました。意外な選出に驚きながらも、単純になぜだろう、直接聞こうとインタビューに赴きました。(2020年10月29日)

場所:隈研吾建築都市設計事務所にて

なぜ「路地尊」を選ばれたのですか?

kuma-kengo-2聞き手:まず初めに、隈さんはなぜ新・東京八景の一つに路地尊を選んだのですか?

:路地尊は、かわいいですよね。手づくり感があって、地域のみんなで作ったことが分かります。これからの東京は普通の名所旧跡では面白くないですね。これからは下から造る都市でなければならないと思っています。路地尊は小さい(かわいい)のが路地に似合っている。例えばスカイツリーのような大きい建築物は、これからのまちにはそぐわないですね。

聞き手:路地尊は、地域の防災まちづくりを考える一言会 という住民のグループから生まれました。私(佐原)もその当事者ですが、生みの親の徳永さんが生きていれば、喜んだと思います。路地尊が誕生した墨田区向島は、火事があっても消防車が入れない細い道路が多いところです。地域の住民がみんなで考え、防災とコミュニティのシンボル的なものを作ろうと、「路地を尊ぼう」という意味合いで「路地尊」のネーミングがまず決まり、その後に形が決まりました。

:名前は重要ですね。僕らの仕事でも名前を決めてから、その後からデザインが動き出します。日本の路地はそこの住民のリビングのようなものですね。路地尊にはみんなでつくってみんなでシェアする、まさに下から造るまちづくりのヒントのようなものがあります。アメリカ型の考え方では、私有のものと公のものが絡み合うことはない。

聞き手:路地尊をつくるときに、お金を出してくれる役所が水道代は払えないから水道を引くのはできないと。じゃあ、隣の屋根の雨をもらって、ためて使うことにしようすると、今度はそんな契約の方法はないからダメだと言うのですが、議論を聞いていた隣の親父が使っていいよと言って、役所も折れてしまった。公共と民間がきっちり分かれていないやり方だが、住民先行でできただけに、近所の住民が掃除やメンテナンスをやっていて、修理の際に役所が出てくるだけです。地域で可愛がられています。

:そこまで皆さんが愛情を持っていることはすごいことですね。基本は私有地に公共が口を出すことはないですが、それがまちをつまらなくしてしまった。日本の建築はもともとメンテナンスし続けることを前提に建てられているからこそ、愛着も湧き、その場所に馴染む。どうもそれが忘れられている。

聞き手:新しい住民には、路地尊の価値が伝わっていないことも多いです。かつては周辺地域では雨がちょっと降るとすぐ水が溜まったりしていました。今は大きなポンプ場が整備され、水害のリスクは減りましたが、住んでいる人々が雨を意識しなくなっている怖さも感じます。

建築に雨を活かすとは?

雨の日の根津美術館(東京都港区南青山)

雨の日の根津美術館(東京都港区南青山)

聞き手:雨水を利用するとまでいかなくても、雨の存在が意識できるまち、雨を魅力的に見せるアプローチをどう思いますか。墨田区には隈さんの設計のホテルがあります。東京スカイツリーの近くのコンクリート造りの建物ですが、見えるところに木材を使っていて、雨の日は色合いが違って見えて、感じがよかったです。また、隈さんが設計された根津美術館を訪ねましたが、雨の降る中、屋根から滴り落ち、庭へ流れていく雨がとても美しかったです。

:ONE@TOKYOですね。そのような受け止め方は初めて聞いたのでありがたいです。根津美術館は雨を見せることを意識して設計しました。瓦屋根で雨を受け、庇を大きくし、樋は付けず、屋根から雨落ちへ落ちていく。雨を美しく見せることを意図しています。

日本はヨーロッパと違い、雨が2倍降る。それだからこそ、屋根の形状や雨の納まりができ、雨が日本の景観を作ってきました。それが忘れられてコンクリートのフラットルーフの建物が増えましたが、日本の風土とは何ら関係ないものです。そのような建物が増えて、人間を貧しくしてしまった。モダニズム建築は、もともと雨が降らないアフリカの建築にヒントを得て発展したものです。路地尊は雨を可視化していて日本らしい建物です。京都の桂離宮は、樋とますのデザインがとてもきれいですが、雨をどう受け、どう流すかに大変な神経を使っています。わびさびの美学として語られることが多いですが、もっと深いところで雨を意識している。雨はいろいろな芸術のヒントとなっています。例えば広重の浮世絵では、雨を細かく観察し、描いた作品が数々あります。

自然と人間の関係を可視化させることが大切です。水は生物にとって一番重要なもの。そばに水があることで安心できる。下水道のように地面に埋めてしまって、水(雨)を見せなくしてしまうのは不自然なことだと思います。これからはもう一回上に出していきたいですね。

聞き手:雨を速やかに流して見えなくしてしまっているまちや建築物が当たり前になっている社会ですが、雨を見せる、活かすようになる転換のきっかけとなる視点はどのようなところにあると思われますか。

: コロナの後の人々の価値観は変わるでしょう。建築物もただ大きさだけで「豊か」とは言えなくなるでしょう。自然を感じられる建築物が豊かさの象徴となる。雨は僕らにとって一番身近な自然だから活かしていきたい。

例えば、フランク・ロイド・ライトの落水荘は、滝の上に建てられ、自然と一体化していて私が好きな建物です。実は屋根で受けた雨を開放型の樋で家の中に流しています。家の中に滝があるかのように雨が流れるのが見えるようになっていて面白い。普通はそれを雨漏りと言うのだろうが、「見せる」と言ったら豊かなものになる。ライトがやったことは、発想の転換をしていてすごいと思います。日本ではもともと、開渠で雨を流していましたが、暗渠にすることでメンテナンスをできなくしてしまった。雨を見せる、まちの表に出してみたいと思う。

:普通のランドスケープは雨を前提にしていません。水があっても不自然な感じがする。もともと日本の庭園は雨をどのように流すのかを考えて造られています。私も建築物の他に庭づくりに力を入れるため、専門の職員を雇っています。日本でランドスケープをやっている人たちはアメリカに学んでいる人たちが多いのですが、私は日本の庭づくりを取り戻したいと考えています。

建築物に雨を活かすというのは、これからのテーマだと思います。現在の建物は全部インフラに頼っている。雨水利用と言っても、トイレの洗浄に使うなど、自分とはあまり関係ないところに使われている。そうではなく、見えるところでの利用の仕方が大切だと思う。

「雨の時がきれいだ」まちづくりもそんなまちが良いですね。

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Photo (c) J.C. Carbonne

Photo (c) J.C. Carbonne

隈研吾(くま・けんご)プロフィール:

1954年生。東京大学大学院建築学専攻修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。
1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、(日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他)、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。

 

*路地尊(ろじそん):

路地尊2号基(東京都墨田区向島) 写真:御堂義乗

路地尊2号基(東京都墨田区向島) 写真:御堂義乗

路地尊は、東京都墨田区にある雨水活用施設。隣家の屋根の雨を導き、路地尊の雨水タンクにため、普段は路地の井戸端談義の場となり、災害時には消火用水や飲み水にも使う、防災まちづくりのシンボルとなっており、拠点をすみだに置く雨水市民の会の身近な存在である。近所の仲間と進める中で、当会の前会長、徳永暢男(故人)さんが中心となって区役所や東京都を巻き込んで作り、区内に21箇所ある。すでにできてから35年の歳月が経っているが、いまだ健在で地域の人たちが愛着を持って使っている。