ひと・市民

高橋裕先生ありがとうございました!

村瀬 誠(天水研究所 代表、NPO法人雨水市民の会 理事)

「君は国際講演の時は、壇上でああやって四股を踏むのかね。」

それは、私が墨田区で雨水利用主査として働いていた19988月の頃でした。私宛にストックホルム水シンポジウム講演依頼のファックスが送られてきました。発信者はインドのNGO組織、CSECenter for Science & Environment)Indiaの事務局長アニル・アガワル氏。ただそれがシンポジウム直前で頭を抱えてしまいましたが、その後都市の雨水利用のセッションはあなたが来ないと話にならないというメッセージを添えて航空券が送られてきましたので意を決してストックホルムに向かいました。会場でアガワル氏にお会いすると、なんと彼が雨水利用東京国際会議実行委員会発行の『やってみよう雨水利用』の英訳版Rainwater & You を手にしているではありませんか。すぐに私たちは意気投合し、共にセッションを成功させようと握手を交わしたのを今でも鮮明に覚えています。

私は、講演が墨田区の雨水利用の取り組みを世界に発信する良い機会と考え、新国技館のエピソードを交えて話の流れを組み立てました。ところがです。私の前の演者が、座長が終了の合図を出そうが終了のべルが鳴ろうが延々と講演を続けたのです。私の持ち時間が5分近く食い込まれてしまった状況の中で、座長が私のところに駆け寄ってきて曰く、「ランチタイムが迫っている。何とか残り時間で講演を終わらせてくれ」。そこでとっさに思いついたのが、山場になるはずだった新国技館の雨水利用のスライドをすっ飛ばして、四股を踏みながら雨水利用の経緯を説明することでした。意外やこれが参加者に大うけで、講演を何とか寄り切る・・・・ことができました。ふと我に返ると、セッションが終了した会場にお一人高橋先生の姿がありました。先生は微笑みを浮かべながら出たのが冒頭の言葉でした。その日の夜は先生とディナーをご一緒し、四股の話で盛り上がりとても楽しいひと時を過ごすことができました。

実は高橋先生には、このストックホルム水シンポジウムの4日前、21世紀の雨水利用を展望するをテーマに墨田区において開催された、雨水利用自治体・市民フォーラムでお世話になったばかりでした。先生には、都市の持続可能な水戦略世界・日本と題して基調講演をお願いしました。先生は、このなかで「21世紀は水循環の健全化を目指すことを目標に自然としての水、河川とのより良き関係を築くことから始めるべきである。21世紀の新しい文明は雨水と我々の新しい付き合いから始まり、水循環思想のもと、雨水、地下水、河川や湖沼の流れ、各種水利用と排水、下水処理水を一元化の方向で把握する技術体系を確立すべきである。そしてその新体系のもと、雨水利用、下水処理水利用が水行政においても正当な地位を得るべきであり、その線に沿って市民の雨水利用にも新たな認識が強く期待される。」と力説されました。先生はすでにご自宅において長年にわたり雨水の貯留、浸透及び利用を実践されていたことから、それは確信に満ちていました。また2005年の雨水東京国際会議では、基調講演にふさわしい講師の相談を持ち掛けたところ、先生は即座にアシット・K・ビスワス博士を推薦してくれました。ビスワス博士は第三世界水資源開発センター所長で、国際水資源学会会長を務められた方です。2006年にはストックホルム水賞も受賞されています。高橋先生のお手紙を添えて同博士に基調講演をお願いしたところ快諾していただきました。その後、ビスワス博士は何度か来日されましたが、高橋先生から声をおかけいただいた同博士とのランチは、雨をめぐる最新の国際情勢を知るとてもいい機会でした。ビスワス博士はバングラデシュ出身でしたので、当時、雨水市民の会がバングラデシュで取り組んでいた飲み水の危機を救う天水活用プロジェクトのことがとても気になっていたようでした。

高橋先生の著書の一つに『地球の水が危ない』(岩波新書)であります。この中で、バングラデシュにおける深刻なヒ素の地下水汚染対策について、先生はこう述べられています。

「抜本的には河川水などの地表水を水源とする水道水を整備することであるが、それもまたかなりの工事費用と年月を要する。現在、具体的な対策のひとつとして、東京都墨田区で雨水利用の普及に成功した村瀬誠氏らがバングラデシュに赴いて地下水に代わる雨水利用施設の普及を指導している。その効果に期待したい」

AMAMIZU Happy Family

『地球の水が危ない』が出版されてから20年になろうとしています。雨水利用を進める全国市民の会は、1999年からバングラデシュにおいて民間の環境基金などの支援を受けながら天水活用プロシジェクトを展開してきました。しかし、ドネーションだけでは人的にも資金的にも限界が見えてきましたので、私は2010年に株式会社天水研究所を設立し、それまでのプロジェクトの成果を引き継ぐ形で同会メンバーやJICAの協力を得ながら、雨水タンクの生産、販売及び設置のソーシャルビジネスを開始しました。ねらいは、現地で雇用を生み出しつつ、セルフファンディングとオーナーシップを確保 することにより、プロジェクトを持続可能な形にすることでした。ともあれ、2013年には志ある日本人やバングラ人で現地法人Skywater Bangladeshの設立にこぎつけ、様々な苦労がありましたが、今では雨水タンクが水道に代わる設備として徐々に地域社会に根を下ろしつつあります。これまでにクルナやチタゴンなどの沿岸地域において設置されたタンクは、低所得者向けの小規模タンク(通称AMAMIZU1トン、フェロセメント製)が4,600基、大家族向けの中規模コンクリートリングタンク(4.5 トン)が300基、病院や学校などの公共用の大規模コンクリートブロックタンク(50トン)が11基になりました。現在は、ロヒンギャ難民キャンプを抱えるコックスバザール内の高校において大規模コンクリートブロックタンクをJICAと協働で建設中です。「雨水を飲むようになって下痢が止まった」「塩害から救われた」「水汲みが軽減された」「医療費が減った」など、うれしい声が、私たちに届いています。高橋先生は、きっと天国から目を細めているのではないでしょうか。

思えば、1994年、墨田区において雨水利用は地球を救う雨と都市の共生を求めて―” をテーマに開催された雨水利用東京国際会議の成果を受け継ぐ形で、翌年雨水利用を進める市民の会が誕生しました。その後同会は全国にネットワークを広げ、2003年にはNPO法人・ 雨水市民の会となり、雨に感謝し、雨を活かすことが当たり前になるような社会の実現に向け多様な活動を展開しています。先生には、雨水市民の会発足当初から顧問をお引き受けいただき、長年にわたり同会を支えていただきました。先生の高い志を引き継ぎ、地球規模で雨を活かし平和で持続可能な社会を実現していきたいと思います。高橋裕先生に心から感謝!

No More Tanks for War, Tanks for Peace !


当会の顧問をされて東京大学名誉教授の高橋裕先生が2021年5月26日に亡くなられて、すでに1年余りが経ちました。今回、『水循環 貯留と浸透』(2022 vol.125・公益社団法人雨水貯留浸透技術協会 発行)に掲載された「特集 高橋裕先生を偲んで」で、当会の村瀬誠理事が寄稿した上記の記事を、発行者である同協会の了解のもと、転載しました。(Webあまみず編集部)

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