ひと・市民

顧問の小山泰正先生を偲ぶ

村瀬誠・柴早苗・南昌子 (雨水市民の会理事)

小山泰正先生がお元気だった頃(2017年6月)

小山泰正先生がお元気だった頃(2017年6月)

雨水市民の会の顧問の小山泰正先生が9月10日にご逝去されました。謹んで心よりご冥福を申し上げます。小山先生と親交が深かった村瀬誠さん、柴早苗さん、南昌子さんから小山先生への追悼の言葉を寄せてもらいました。

なお、小山先生を偲ぶ会が2019年3月16日(土)に開催されます。詳細は、東邦大学薬学部微生物学教室気付「小山泰正先生を忍ぶ会実行委員会事務局」(FAX:047-472-2086)まで。

村瀬誠さんから小山先生へ 

長年にわたって雨水市民の会の顧問をされておられた東邦大学薬学部名誉教授・小山泰正先生が、9月10日にご逝去されました。雨は汚れた大気を洗い流してくれますが、汚れてしまった雨水を浄化してくれるのが大地の微生物です。小山泰正先生は、その主役の一つ放線菌に関する日本における屈指の研究者で、ノーベル生理学・医学賞を受賞された北里大学特別栄誉教授・大村智氏とも親交が深かった方でした。

太古から人は雨に感謝し、雨を溜め、生命をつないできました。先人たちは雨水が安全な飲み水の水源であることを体験的に学んできたのではないでしょうか。江戸時代に『養生訓』を著した医者・貝原益軒も、同著の中で雨水は飲み水にすべしと助言しています。溜めた雨水にはいろんな微生物が生息しています。しかし、それを飲んでたくさんの人が亡くなったという記録がありません。小山泰正先生は、晩年、その理由として雨水貯水槽の内壁に生成されるバイオフィルムに着目されていました。先生は、このバイオフィルムが雨水の水質浄化にも、病原菌の増殖制御にも寄与しているのではないかと考えていたようです。故人の遺志を引き継ぎ、雨水の産官学民のネットワークで生命をつなぐ雨水の水質を科学し、雨をもっと大切にもっと有効に活かしていきたいと思います。

柴早苗さんから小山先生へ

私が初めて小山泰正先生にお会いしたのは、平成の初めでした。東邦大学薬学部での東邦セミナーという薬剤師の集まりで、薬や健康を巡る諸問題とその解決策を考えるグループに参加してからです。その後、そのセミナーでの成果を「あなたへの処方箋薬学外論Ⅱ」という冊子にまとめる際には、度重なる議論の中で若い私たち仲間の声に真摯に耳を傾け、的確な示唆を与えて下さいました。また、会合の後の飲み会では、若い頃からの体験談を面白可笑しくご披露なさる気さくな先生でもありました。

特に私にとって印象に残っているのは、培養できない細菌があまたあるという先生のお話です。当時仕事柄、水道法で一般細菌数の検査方法が普通寒天培地から標準寒天培地による培養に変更され、細菌数が減少した印象を持っていました。実際に細菌の集落の色や形状等を観測したりその数を計測できるのは、ある設定された培養条件下の結果としてであり、未だ私たちが培養できない細菌類が無数にあり、それらが地球上の汚れ等を掃除する一端を担っていることを、観念的ではなく納得したのでした。

ご高齢になられても、穏やかで矍鑠としていらしたお姿が思い出されます。ここに謹んで先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

南昌子さんから小山先生へ

小山先生は、私が在学中に千葉大学から東邦大学に赴任して来られました。先生の講義は、薬用微生物学という抗生物質についての内容だったと思います。大学の講義内容など、今となってはほとんど覚えていない私ですが、小山先生の講義の中で一つだけはっきりと覚えているものがあります。遺伝子についてです。たった四つの塩基から構成されるDNAが、単純にして精緻な仕組みで複写され代々受け継がれていく。自分のからだも、この四つの塩基で構成されるDNAからできていて、親から子へと代々受け継がれてきたのだと思うと、何か体の中から湧き上がるような大きな感動を覚えたものでした。後年、このことを先生にお話しすると、「そうですか。何だったんでしょうね。きっと(心に届くような言葉を)何か言ったんでしょうね。」とちょっとうれしそうなお顔をなさいました。

先生とは家が近いこともあり、ホームセンターや散歩中の先生とばったりお会いすることがありました。いつも穏やかな笑顔でお話をしてくださいました。最後にお会いしたのは、新京成の電車の中でした。マッサージに行かれるとのことでしたが、息子さんを亡くされた後で、とてもお寂しそうでした。

心からご冥福をお祈りいたします。

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