世界の雨水

イラン・トルコの雨水利用調査〜「雨+世界珍道中」と近年の水事情

Webあまみず編集部

イランで開催された国際雨水資源化学会に参加し、イラン、トルコの雨水利用の調査を行うため、1997422日、14名が成田から出立しました。2021228日の雨水市民の会創立25周年の特別座談会「雨+世界珍道中」では、調査に行った小澤一昭さん、柴早苗さんがそれぞれイラン、トルコ調査のスピーカーとして振り返りました。

また、Webあまみずへの掲載にあたり、その後の水事情についても文献調査をしました。

図1 イラン・トルコ各都市と東京の月別降水量 表1 イラン・トルコと日本の国の概要 (出典:理科年表、気象庁HP、外務省HP、GLOBAL NOTE)

図1 イラン・トルコ各都市と東京の月別降水量 表1 イラン・トルコと日本の国の概要
(出典:理科年表、気象庁HP、外務省HP、GLOBAL NOTE)

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 広がる砂漠、イランの対処法

イランは、北はカスピ海に、南はペルシャ湾に面し、中央はイラン高原、ザグロス山脈などの高地で砂漠地帯も広がる、半乾燥・乾燥地帯です(図2、写真2参照)。

第8回国際雨水利用イラン会議は、首都テヘランで開催されましたが、国をあげての一大イベントとして街のあちこちにポスターが貼られていました。テヘランは、平均標高3000m級のエルブルズ山脈の南側に位置し、その雪解け水が水源となっています。水道が普及する前は、飲み水は買って、街中に流れる水路の水をそれぞれの家に導き、生活用水として使っていたそうです。訪問した当時、街の側溝には街路樹が植えられそこに水が流れ、街に清涼感をもたらしていました(写真1)。

写真1 テヘラン市内を流れる水路と街路樹 写真2テヘランからカシャーン へ向かう途中の砂漠

写真1 テヘラン市内を流れる水路と街路樹       写真2 テヘランからカシャーン へ向かう途中の砂漠

5日間のエキスカーションに参加し、テヘランからバスで南へ移動してカシャーンやイスファハーン近郊にて、砂漠での様々な試みやカナート(地下水路)を見学することができました。「砂漠緑化作戦」と称する、素焼きポットの近くに片側だけをビニールで覆った幼木を植えポットから徐々に沁み出す水で育てる、ヤシの葉で平行・井桁の柵をつくって風除けにする、苗木を植える前に表面の乾燥を防ぐため重油をばらまく、などの現場も見ました(写真3〜5)。年間120mmの降雨量の場所では、雨が降ると一気に山肌を下って町が洪水になるため、8年前から323km2の荒野に等高線に沿って連続した10個の池を作り、土砂の沈降と地下水涵養のための浸透を行っていました。

イスファハーンは、16世紀のサファビー朝ペルシャの都として繁栄を極めた都市であり、モスク建築やタイル装飾で有名な世界文化遺産、イマーム広場があります。町の南にザグロス山脈を源流とするザーヤンデルード川が水量豊かに滔々と流れていたのが印象的でした。

カシャーンの西に広がる約500haの流動する砂漠での試みを見学 (左)写真3 ヤシの葉の柵を並べて風をよけ砂の動きを止める (中)写真4 マメ科の植物を土管に入れて育てる (右)写真5 表面の乾燥を防いで苗木を植えるために重油のばらまく

カシャーンの西に広がる約500haの流動する砂漠での試みを見学
写真3(左)ヤシの葉の柵を並べて風をよけ砂の動きを止める 写真4(中)マメ科の植物を土管に入れて育てる 写真5(右)表面の乾燥を防いで苗木を植えるために重油のばらまく

砂漠の知恵〜イランの地下水路カナート

カナートは、2000年以上に及ぶ乾燥地の持続的な水資源利用の仕組みで、水文条件を駆使した先人の英知であり、カナート堀りは豊富な経験と熟練を要する父子相伝の技術です。広く世界に伝搬し、アフガニスタンなどではカレーズ、北アフリカではフォガラ、中国のトルファンでは坎児井(カルアンチン)と呼ばれます。

専門職人が山麓部の植物や地質から地下水脈を予測して、手掘りで竪坑を帯水層まで数十m掘り、給水する村の帯水層がない地層から横に掘り進み、20〜50m間隔の竪坑と繋いで自然流下で流し、貯水池(アバンボール)にためて、厳密な水利慣行のもと生活用水や農業などに使われています(写真6、図3参照)。飲み水用とそれ以外の水利用で上下2段にしたカナートもありました。日本に持ち帰ってから水質検査を行ったところ、それらの水質はほとんど同じで塩類を多く含む硬水でした。地質由来と思われるフッ素イオンやヒ素イオンが多かったのが気になりました。

写真6 カナートの竪坑から上がってきた職人と土砂巻揚機 図3 カナートの構造(「空と海と大地をつなぐ雨の事典」より)(レインドロップス編著、雨水市民の会)

写真6(左) カナートの竪坑から上がってきた職人と土砂巻揚機
図3(右) カナートの構造(「空と海と大地をつなぐ雨の事典」より)(レインドロップス編著、雨水市民の会)

古都イスタンブールに残る水道橋と貯水池

イラン行の経由地として、トルコのイスタンブールに数日滞在しました。イスタンブールは、昔はコンスタンティノープルと呼ばれ、330年にローマ帝国の都になって以来、ビザンツ(東ローマ)帝国やオスマントルコ帝国の首都として約1600年に渡って栄えた、東洋と西洋、キリスト教とイスラム教の文化の融合するまちです。1453年のオスマントルコ帝国の陥落に伴い、イスタンブールと改名されました。水にまつわる歴史を振り返ってみます。

水路建設は2世紀ごろから始まったとのことですが、4世紀半ばのヴァレンス帝の時代には人口も増加し、北部の山地を水源とするヴァレンス水道橋を造り、まちの貯水池へ給水されました。世界最長を誇った242kmのうち、市内に800mが残っています(写真7)。

写真いまだ800mが残るヴァレンス水道橋、8万㎥の水をためたイエレバタン貯水池、礎石として横向きに置かれたメデューサの首

写真7(左)いまだ800mが残るヴァレンス水道橋 写真8(中)8万㎥の水をためたイエレバタン貯水池 写真9(右)礎石として横向きに置かれたメデューサの首

観光名所のイエレバタン貯水池は地下宮殿とも言われ、6世紀に建造されました。140m、70m四方、高さ9mで8万トンの巨大貯水槽を336本の石柱が支えています(写真8)。一番奥には、メデューサの首2つが石柱の礎石として横向きと逆さに据えられていて、謂われが気になりました(写真9)。その他5万トンのテシオドス貯水池(2018年4月から一般公開)など20弱の貯水池が発見されているとのことでした。

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写真10 モスク内の水場で祈りの前に身体を清める人々

オスマントルコの治世には、水を使う蒸し風呂(ハマム)文化が栄え、イスラム教では「清潔は信仰の半分」といわれるように祈りの前に水で身体を清めるなど、溜めた水よりも流れる水が好まれ、次第に貯水池からの水は使われなくなったとのことです。水道橋は17世紀終わりまでメンテナンスがなされ使われていたそうです。

モスクの敷地内には必ず泉(水場)があります(写真10)。街中には造形的に美しい泉もありましたが、蛇口がなくなって久しい様子の小さな水場も散見されました。簡単な水質検査を実施したところ、ホテルの水道では残留塩素がほとんど検出されませんでしたが、広場の水飲み場からは1.5mg/ℓ検出されました。

 

その後のイラン〜ひっ迫する水資源

写真10 「やってみよう雨水利用」のペルシャ語版(JICAが翻訳出版)

写真10 「やってみよう雨水利用」のペルシャ語版(JICAが翻訳出版)

イランのその後の情報は日本にはなかなか伝わってきませんが、2006年にJICAのイラン駐在員事務所では、水の有効利用を進めるため、当会が出版している「やってみよう雨水利用」の英語版をペルシャ語に翻訳出版(写真10)して、関係機関や学校に配布したとのことです(「イランの水資源問題への取り組み」中山義規,ODAメールマガジン,2006/7/19,No.95)。

イランは、前述したとおりカスピ海沿岸を除き国土の9割以上が乾燥地帯、半乾燥地帯で水資源が乏しい国です。現況を「イランの水資源を取り巻く課題について」(山田拓也、国土交通省水管理・国土保全局河川環境課、水文・水資源学会誌第32巻第5号(2019))の論文から、水事情を辿ってみます。

イラン全国の過去50年間の年平均降水量は248mmですが、近年の10年平均は220mmと約1割の減少です。一方、人口は1960年代の後半には3,000万人を下回っていましたが、2019年現在は8,291万人と約3倍となり、水使用量が著しく増加しています。さらに、都市化や灌漑農業の普及も水需要増加の要因となります。1年間の水資源の負荷(淡水取水量÷水資源賦存量)は67.6%(2004年)で、日本の20.9%(2001年)の3倍以上と大きく上回っています。地下水利用は、法律で許可制になっていますが、約4割の32万基の井戸が無許可で、取締をしても年間1万基ずつ増加していて、規制が効いていない現状のようです。

新しい水源開発として173基(2017年11月現在、逆調整ダム含む)のダムが建設・運用され、総貯水量は417億㎥と、日本のダムの2倍以上もあります。

このように減少する降雨量に対し、表流水も地下水も取りすぎの傾向が見受けられます。結果として、河川は干上がったり流量が少なくなる、湿地帯は乾燥化して動植物が生息できる環境が減少するなどの弊害が発生しています。前述のイスファハーンで見たザーヤンデルード川は、2019年現在、一年中干上がる状態が続き、その約400 kmの河川流域で水を巡る農民の抗議行動が起こっているそうです。地下水は水位の低下により改修が必要な井戸が年間8%あり、農業生産のコスト高を招き、テヘランなどの主要都市では地盤沈下を引き起こしています。

水資源が逼迫する中、水需要を減らすには人々が節水する意識を持つことも重要です。しかし、安価な水道料金や地下水の農業使用は無料であることなど、節水の動機付けが難しい現状です。水資源の問題を明らかにし、適正で持続可能な方策を国民とともに考えるためには、政府が持っている情報の公開なども必要と思われますが、管理データは極めて厳しく秘匿されているようです。

その後のトルコ〜国際河川の下流域のシリア、イラクとの関係

ネット検索による情報や後述する田中幸夫氏の論文等を参考に、メソポタミア地方の水事情をかいつまんで以下に報告します。

トルコの年間降水量は平均で593mmですが、地域や時期によって大きな変動があり、人口増加も相まって、毎年のように水不足に見舞われています。黒海や地中海に面した地域は800mmから1000mmを超える湿潤地帯ですが、内陸部は200〜600mm程度です。ユーフラテス川の流出量の約90%、ティグリス川の49%がトルコ東南部から流れ(国土交通省HPより)、ティグリス・ユーフラテス川の下流は「肥沃な三日月地帯」として5000年以上前の文明発祥の地ですが、降水量は200mm以下で灌漑農業によって成り立ってきた地域です。

写真11  アタチュルク ・ダム(ユーフラテス川に1992年完成、ロックフィルダム、貯水量487億㎥)(写真は国土交通省HPより)

写真11  アタチュルク ・ダム(ユーフラテス川に1992年完成、ロックフィルダム、貯水量487億㎥)(写真は国土交通省HPより)

トルコは水源開発のため1960年代からダムを造り続けていますが、国を超えて流れるユーフラテス川上流にダムを造ったため、下流のシリア、イラクとの間の水紛争が絶えません。上流のダムで堰き止めたため、川の流量が極端に減る事態もありました。

1977年には、トルコ政府は「東南部アナトリア開発計画」と称して、170万haの灌漑農地の造成と、22のダムと19の発電所の建設計画を立てました。この東南地域は開発から最も遅れている一方で、半乾燥地域でありながら豊富な水資源を持つ地域です。クルド人が多く住み、独立運動を繰り広げている地域でもあります。トルコ政府はその懐柔策としても遂行したかったようです。世界銀行からは、ティグリス・ユーフラテス川流域国間での水利用合意が融資の条件とされて融資を受けられず、自力で建設を進め、1992年にユーフラテス川上流に総貯水量487億㎥のアタチュルク・ダム(図2・写真12参照)が完成します。

1983年には、3国はティグリス・ユーフラテス川の水の使用をめぐる調整のために常設委員会を作りましたが、各国の実情や考え方に隔たりがあり、川の流量を巡る3国の合意には至っていません。1990年代末に流域全体の大渇水を経験し、2000年代以降は慢性的渇水に悩まされ、個別の訴えや政治的駆け引きにより刹那的な解決を図っている状況のようです。しかし、近年の続出する旱魃により、シリアでは農地を放棄し都市やキャンプ場などへ避難した農民も多くいます。

田中幸夫氏が2010年にトルコ東部のハラン平原の農業用水の調査をしています。現地は、アタチュルク・ダムから取水して約10万haの農地を灌漑し、コンクリート製の水路に水が流れてました。しかし、水路が破損して漏水し池のようになっているのを見ても人々は何もしていない、圃場が不均平で所々が水浸しになり排水施設も十分機能してないところもあったそうです。このように過剰灌漑を続けると地下水位が上がって、塩害化がおき、不毛の地になってしまいます。すでに耕作放棄された農地も見たそうです。また、政情不安だったイラクの調査は行いませんでしたが、データ調査では、農地の年間蒸発散量は8,690mmで可能蒸発散量の1,800mmを大幅に超え、大量の蒸発散が発生している可能性もあるとのことです(「ティグリス・ユーフラテス川を巡る国家間水紛争と水資源管理の課題」,一般財団法人 日本水土総合研究所 海外情報誌ARDEC第54号,田中幸夫,2016/3)。

中東地帯は今後の気象変動によりさらに水ストレスが大きくなっていく地域ですが、水を巡り問題がさらに大きくなっていくことが懸念されます。

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