2017.10.07
雨タスサロン⑥:雨+書道(2017.6.14) 高橋朝子さんの語り
Webあまみず編集部
2017年6月14日(水)、第6回になる雨タスサロンが開催されました。雨タスサロンは、雨や水の話題をつまみに、飲んで食べてワイワイガヤガヤするサロンです。今回のテーマは、「雨+書道」。書道の有段者である高橋朝子さんのお話です。食べる物は、墨をイメージする黒い食べ物が多かったです(写真1)。
書道といえば漢字。まずは漢字の成り立ちと雨の関係を探りました。漢字ができたのは、中国ですが、紀元前2500年(?)頃の伝説の時代「三皇五帝」に、黄帝に仕えた蒼頡(そうけつ)という人が創ったと言われています。漢字は、時代を経て、変遷していきますが、現在使っている文字の大元の形ができたのは、紀元前1600年頃の殷(商)の時代に使われ、占いに使うため動物の骨などに刻んだ文字(=甲骨文字)が元になっています。その後、青銅器や石の表面に刻んだ金文や石鼓文と変遷し、紀元前221年に誕生した秦の始皇帝が文字を統一して篆書や隷書が使われるようになりました。地方に始皇帝の命令を届けるにも、何台もの荷車で膨大な量の木簡や竹簡で運んだそうです。書道の歴史で画期的な変換を迎えたのは、後漢の時代に蔡倫が紙の画期的製法を開発したことにより、紙に筆で描くことができる書体である草書、行書、楷書が生まれました。
さて、「雨」は象形文字と言われますが、一番古い甲骨文字では図1のようなものがあります。文字の上部が横一文字になっていたり四角く囲ってあったりしていますが、雲を表すと言われています。
また、雨冠の漢字はたくさんありますが、例えば「電」「雲」「霊」「需」を古い形(甲骨文字や金文字など)と比べてみましょう。
「電」は、気象現象としての「雨」と稲妻が屈折しながら空を走っている「申」を合わせたものです。
「雲」は、元は「云」という文字で、モクモクと雲が発達する様子なのでしょうか?また、龍の尻尾を表したという説もあります。
「霊」は、雨冠の下に「口」を3つ書き、巫女がそれを拝んでいる様子です。「口」は図2のような形で、神への祝詞を入れる器を表しています。つまり、雨乞いの祈りを捧げることだったのでしょう。
また、「需」の「而」の部分は、あごひげを意味する文字ですが、髪を切って髷を結わない人=神に仕える人を意味し、巫女が雨を求めている様子です。現在でも「求める」、「待つ」という意味となっています。
雨は降らなくても降り過ぎても農作物や人々の生活に影響があります。昔の支配者は雨を支配する神様にお願いすることが大切な仕事だったのでしょう。
一通り漢字の謂れを頭に入れてから、参加者は雨水で墨を擦り、雨にまつわる自分なりの創作文字に挑戦しました。筆を持つのは中学校以来という方もいましたが、書は心、なかなかの傑作もありました。
このワークショップには、市民の会事務所近くで地元の人たちにイベントスペースを提供しているヒラキエの開さんに墨と硯をお借りして実現しました。ご協力をありがとうございました。